HOME > 展示会ご案内 > 「精華の名品展」 解説目次 > 「精華の名品展」解説
解説履歴

第5回 “師弟(してい)” 竹内栖鳳(たけうちせいほう)「雀図(すずめず)」と上村松園(うえむらしょうえん)「元禄(げんろく)おどり図(ず)」


京都では画家と言えば「せいほうさん」「しょうえんさん」の名が返ってくる。それも親しみを込めて「サン」付けで。さて竹内栖鳳(1864〜1942)と上村松園(1875〜1949)。共に明治、大正、昭和の三代に渡り京都日本画の代表として広く全国民に知られた巨匠である。
栖鳳は明治の開明期、円山四条派(まるやましじょうは)の伝統的風土の中で新しい日本画で画壇を率(ひき)い、その弟子松園は当時我が国第一の女流画家として生涯千余点の美人画を残した。この二人に有名なのは写生(しゃせい)に払った常人の及ばぬ執念と努力だ。それについては多くのエピソードが語られている。
今回展示される栖鳳の「雀図」(かつて正木直彦(まさきなおひこ)所有の色紙画帖(しきしがちょう))を見よう。栖鳳は雀を描かせたら“天下一の名手”と言われ当時愛好家の間では一羽いくらで評価されたほど。後年東本願寺に描いた襖絵(ふすまえ)から二羽の雀が抜き取るように怪盗の手で消える事件さえあった。雀の写生に懸(か)けた栖鳳は「私は只(ただ)の雀の形を描いているのではなく、今チュンと鳴くその声を写生しているのだ」と言っている。
この師の写生に払う凄(すさ)まじい魂を松園は受け継いだ。子供の時から成人後も松園は好きな絵は片っ端から「縮図帖(しゅくずちょう)」と呼ぶ写生帖(しゃせいちょう)に写し描きした。芝居小屋(しばいごや)でも展覧会場ででも作品を写生した。火事に遭(あ)ってもその縮図帖は手放さず「私の命から二番目の宝物」と言っている。松園の描いた美人画の女性達の殆(ほとん)どが、この縮図帖から抜け出したという。展示される「元禄おどり図」は松園がこよなく愛した江戸中期の風物をこの縮図帖の中から描いたに違いない。

解説 晴明会館顧問・美術評論家 亀田正雄

ページトップへ

  当サイトに掲載されている全ての画像・写真の著作権は新健康協会・晴明会館が所有しております。
当サイトに掲載されている情報を許可なく複製・販売・貸与および出版などの行為を固く禁じます。
Copyright (c) 1999-2012 Product by Shinkenko-kyokai org. All rights reserved.