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第4回 “ああ遠近法(えんきんほう)”
司馬江漢(しばこうかん)「二見ヶ浦之図(ふたみがうらのず)」と葛飾北斎(かつしかほくさい)「待乳山(まつちやま)」


今では何と言うこともない遠近法 ― 遠い風景を小さくし、近い所は大きく描いて現実感を出す。こんな西洋画の描き方が日本ではまだ幕末の頃迄知られていなかった。江戸時代の終わり、幕府は洋書の禁令を解きオランダの医学、理学が日本に入ると共に、ヨーロッパでは400年前のルネッサンスで考案されていたこの遠近法、明暗法(めいあんほう)の絵画技法に、日本の画家達は驚き、勉強を始めた。その先駆者として我が国銅版画(どうばんが)の始祖(しそ)・司馬江漢と浮世絵(うきよえ)の巨匠・葛飾北斎の作品を挙げてみた。二人とも同じ世代で江漢は若い日浮世絵を描き、確かでないが好奇心溢(あふ)れる北斎は江漢から西洋画法を学んだとも言われるほど西洋画の新知識に情熱を傾けた両人、それを窺(うかが)わせる二人のこの作品を会場に展示しました。
司馬江漢(1747〜1818)は浮世絵師から西洋画に転じ、長崎で中国の洋風画家や日本の蘭学者(らんがくしゃ)グループと交わり、初めて西洋画や銅版画を創作した。作品の「二見ヶ浦之図」[寛政(かんせい)十年(1798)作]は伊勢(いせ)の海の名所、二見浦(ふたみがうら)を描いたもので署名(しょめい)の上に「西洋画士(せいようがし)」と入れ、横文字も入れているのが面白い。大きな空、海上の帆(ほ)や岩の遠近法に新しい西洋画法の心意気が見られる。
北斎(1760〜1849)は世界に知られた浮世絵師。富士山をテーマにした「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」は誰しも知る国民的画家だ。この作品「待乳山」は九十歳迄数多く作品を残した北斎に珍しい水墨画屏風(すいぼくがびょうぶ)である。既に西洋画の遠近法は浮世絵界にも現れているが、北斎は巧みな腕で隅田川の両岸の風景を東洋画伝統の狩野派(かのうは)に西洋画法を取り入れているのはさすがである。樹々のうねる左手、浅草観音(あさくさかんのん)の塔との間に小さく白い富士山が望めるのを見落としてはならぬ。富士山の北斎はこんな所にも面目(めんぼく)を発揮している。この屏風絵は昭和41年(1966)旧ソ連(ロシア)で開かれた「北斎展」に出品されヨーロッパで大きな話題と人気を呼んだ。

解説 晴明会館顧問・美術評論家 亀田正雄

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