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第7回 “新年(しんねん) 二(ふた)つの扇面画(せんめんが)” 
横山大観(よこやまたいかん)「霊峰不二(れいほうふじ)」と富岡鉄斎(とみおかてっさい)「旭日波浪(きょくじつはろう)」


平成24年の新年を寿(ことほ)ぎ、横山大観の「富士山」と富岡鉄斎の「初日の出」の扇面画を鑑賞しよう。扇面画とは画家の余技(よぎ)でなく、ご覧のように扇(おうぎ)の空間を巧(たく)みに生かして絵を描いたわが国伝統の優美な絵画で、すでに室町時代から屏風(びょうぶ)に貼り交ぜて鑑賞されてきた。「富士山」や「初日の出」は年の初め、祈りの心を象徴して家々に飾り新年を祝った。
横山大観(1868〜1958)は明治、大正、昭和の三代に渡り国民画家と言われるほど知らぬ者なき日本画の巨匠である。師の岡倉天心(おかくらてんしん)から受け継いだ東洋画の理想を近代化し、日本画の新しい創造に生涯を捧げた。昭和33年91歳で亡くなるまで多くの名作を残したが、特に富士山は大観が最も愛した画題で絶筆となった程だ。大観は常に「富士山は日本一の山。日本人の心である」と言い、人と会話中にも指先で卓上に富士山を描き、それを「心」という字に作り変えていた話は有名だ。この作品「霊峰不二」はこぶのように見える宝永山(ほうえいざん)を嫌い、伊豆(いず)の達磨山(だるまやま)から見た富士山である。
水戸(みと)生まれの大観に対し富岡鉄斎(1837〜1924)は生粋(きっすい)の京都人だが幕末から明治、大正にかけ徹底して時代の近代化に背を向けて生きた異色の南画家(なんがか)だ。「わしは儒者(じゅしゃ)(学者)であって画家でない」と公言し、「万巻(まんがん)の書(しょ)を読(よ)み、千里(せんり)の道(みち)を行(い)く」という南画の精神を身をもって実践した。日本、中国の学問を貪(むさぼ)るように勉強し、まだ鉄道のない時代、北海道から九州まで徒歩と馬で踏破(とうは)して絵にした。やがてその絵は画壇(がだん)の注目するところとなったが、生涯一度も公的な美術展に出品しなかった。没後海外の芸術家から“日本のピカソ”と言われ高い評価を受けている。鉄斎は自分の作品を見る時、「先ず絵よりも傍(かたわ)らの賛(さん)(書(しょ))を読んで欲しい」と言った。この作品「旭日波浪」も絵の右横に「新年海(しんねんうみ)を望(のぞ)む」という堂々たる字で賛が書かれている。

解説 晴明会館顧問・美術評論家 亀田正雄

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