HOME > 展示会ご案内 > 「精華の名品展」 解説目次 > 「精華の名品展」解説
解説履歴

第11回 “美人画名品(びじんがめいひん)の三点(さんてん)”
喜多川歌麿(きたがわうたまろ) 作 「婦人相学十躰(ふじんそうがくじゅったい)―指(ゆび)を折(お)る女(おんな)」
葛飾北斎(かつしかほくさい) 作 「七夕図(たなばたず)」
歌川豊国(うたがわとよくに) 作 「美人立姿(びじんたちすがた)」


美人画は浮世絵の華(はな)。江戸時代数多くの浮世絵師(うきよえし)が腕を揮(ふる)って、大衆の好みに応じ美人の顔、姿を描いた。今回の展覧会には沢山の美人画が出品されているが、その中から浮世絵の美人画の歴史に話題を呼んだ三点を選んだ。いずれも当館が誇る作品である。
美人画といえば誰しも目に浮かぶのは喜多川歌麿(1753〜1806)の女性像だ。今から二百余年前の寛政(かんせい)年代、これまでどの浮世絵師もなし得なかった美人の顔を大きく描く大首絵(おおくびえ)。雲母(うんも)をたらしこんで女性を浮き上がらせる雲母摺(きらず)りの技法。女性の髪の一本を更に三分化する優れた彫師(ほりし)。など、その描き方と技法でたちまち当時の美人画の人気を一手に集めた。作品の「婦人相学十躰―指を折る女」は女性の内面を描いて有名な「婦女人相十品(ふじょにんそうじゅっぽん)」の姉妹(しまい)作品として今は滅多に見られない貴重なもの。女性によくある指先を見つつ何か思いに耽(ふけ)る姿は、外観だけの美人画を更に深め、特にその顔立ちは丸顔で鼻の低い当時の一般女性を、鼻の高いすらりとした現代の美人像に描いているのも注目される。
葛飾北斎(1760〜1849)の描いたこの「七夕図」は、昭和40年旧ソ連で開かれた「北斎展」に出品され全世界の注視を浴びた。北斎といえば富士山の画家のイメージが浮かぶが、若い頃は役者絵(やくしゃえ)や美人画を描いていた。七夕の日、料紙(りょうし)に梶(かじ)の葉を添えて祈る風習を、すらりとした清らかな女性で表し、当時流行中のでろりとした官能美と一味違ったロマンチックな北斎美人を見ることが出来る。北斎は歌麿と共にヨーロッパで大人気を博したことは言うまでもない。
歌川豊国(1769〜1825)は浮世絵が終わる頃の幕末で全盛を極め、最も大衆に受けた美人画兼役者絵の画家である。豊国はその頃役者の「真(しん) (真実) 」を写(うつ)した描き方で世間の話題となり、姿を消した写楽(しゃらく)の「真」の描き方に、さらに女性の服装や優美さを加えお芝居の情感を漂わせた優美な美人画を描いた。この「美人立姿」の顔姿は江戸の当代粋(いき)な美人像で、昭和39年(1964)東京オリンピック記念肉筆浮世絵展に菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の「若衆(わかしゅ)と娘(むすめ)」と共に出品され話題を賑(にぎ)わした。

解説 晴明会館顧問・美術評論家 亀田正雄

ページトップへ

  当サイトに掲載されている全ての画像・写真の著作権は新健康協会・晴明会館が所有しております。
当サイトに掲載されている情報を許可なく複製・販売・貸与および出版などの行為を固く禁じます。
Copyright (c) 1999-2012 Product by Shinkenko-kyokai org. All rights reserved.