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第12回 “都(みやこ)のわび、都の雅(みやび)”
楽茶碗(らくちゃわん)  旦入(たんにゅう)の「黒楽(くろらく)」、弘入(こうにゅう)の「赤楽(あからく)」
永楽善五郎(えいらくぜんごろう)の「仁清写扇流茶碗(にんせいうつしおうぎながれちゃわん)」


京都は昔も今も、やきものの中心地と言われている。桃山時代(ももやまじだい)に千利休(せんのりきゅう)の指導で作られた長次郎(ちょうじろう)の楽茶碗は、現代まで四百余年の歴史を刻(きざ)んで茶道(さどう)の世界に君臨し、一方千年の王朝の雅やかな風土の中で生まれ育った京焼(きょうやき)は、その祖(そ)の仁清、乾山(けんざん)に見る優美(ゆうび)、華麗(かれい)な色彩(しきさい)、巧(たく)みな意匠(いしょう)や技法で独自の風格を示して来た。
「一楽(いちらく)、二萩(にはぎ)、三唐津(さんからつ)」(二、三位は変わることあるも一位は変わらず)と茶人(ちゃじん)の間で常に頂点に立つ楽茶碗は、“わび茶”道を大成した利休の心の素朴(そぼく)、静寂(せいじゃく)、温かさの日本的特質を映(うつ)したものとして尊重されて来た。天正(てんしょう)の時代から現代の十五代楽吉左衞門(らくきちざえもん)まで連綿(れんめん)と続く楽焼は、他と違い低火度(ていかど)で焼かれ、轆轤(ろくろ)を使わず作者の手作りで作られている。京焼と影響し合いながら楽焼には数多くの名工が生まれた。この展覧会には富士山が描かれた十代旦入(1795〜1854)の黒楽茶碗と、赤色が美しい十二代弘入(1857〜1932)の赤楽茶碗が展示されている。
京焼の祖とされる野々村仁清(ののむらにんせい)は、江戸時代の初期、丹波(たんば)から京に出て、都ぶりともいえる優美、華麗な色絵(いろえ)や技法で日本のやきものの極致(きょくち)と一世を風靡(ふうび)した。以後京都の陶芸人(とうげいにん)には「仁清写(うつ)し」といって仁清を慕(した)いその作品を写すことが盛んに行われた。それはただ“ものまね”でなく、仁清をそのまま写し出しながら自分の個性を磨くやり方で、その「仁清写し」の第一人者として知られるのが、永楽善五郎(1917〜1998)である。展示されている「仁清写扇流茶碗」は、茶碗全体の軽(かろ)やかさ、色取られた赤、青、緑の絵付けの花やかさ。扇の中の満開の梅の花一枚一枚を当時流行した蒔絵(まきえ)の技法で蒔(ま)くなど、仁清の実作品と見間違えるほど。写したのは茶碗の作品も多かった仁清の数多い作品の中の名品といわれている。この写しの作品には千家(せんけ)十三代家元、即中斎(そくちゅうさい)の書付(かきつけ)がある。

解説 晴明会館顧問・美術評論家 亀田正雄

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