師宣は、安房国保田(あわのくにほた)(現・千葉県鋸南町(きょなんまち))の縫箔(ぬいはく)・刺繍(ししゅう)を家業とする家に生まれ、幼少から絵筆をとり手伝いをしていました。しかし青年期に絵師を志し江戸へ出ます。江戸で漢画や狩野派(かのうは)、土佐派(とさは)の画法を独自で習得し、庶民向けの美しい線で鑑賞用としての墨摺木版画(すみすりもくはんが)を数多く制作・確立し浮世絵の祖と称されました。また記念切手のデザインになった「見返り美人」に代表される美人画や、歌舞伎役者の風俗画などの肉筆画の絵師としても大いに活躍し、絶大な人気を博したのでした。
今回展示しております大判墨摺(おおばんすみすり)11枚の白い和紙に墨で摺られた白と黒のみの版画は、華やかな色彩版画(錦絵(にしきえ))へと発展していく前の、江戸時代大衆に圧倒的に人気を得た「曽我物語」を題材にした師宣作の大変貴重な元禄古版画(げんろくこはんが)(初期浮世絵版画)です。
曽我物語のあらすじ
今から819年前の建久(けんきゅう)4年(1193)5月、源頼朝(みなもとのよりとも)は諸国の家来を集め富士山の裾野(すその)で大規模巻狩(まきが)り を催していました。
5月28日の夜、曽我十郎祐成(そがのじゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(そがのごろうときむね)の兄弟が苦節18年を乗り越え力を合わせ、この巻狩りに参加していた父(河津祐泰(かわづすけやす))の敵である工藤祐経(くどうすけつね)の寝所(しんじょ)に押し入り、念願叶(かな)って討ち果たしました。その騒ぎを聞きつけた武士達に取り囲まれ、兄・十郎は討たれ、弟・五郎は捕らえられます。頼朝の前に出された五郎時致は、経緯を聞き心動かされた頼朝より助命されようとしますが、祐経の子に請われ命を落としたのでした。
この物語は江戸時代の民衆の間で大いにもてはやされ、浄瑠璃(じょうるり)や能(のう)、歌舞伎(かぶき)、浮世絵(うきよえ)、小説など数多く取り上げられました。