明治29年(1896)作。青木が久留米中学明善校(めいぜんこう)(現、福岡県立明善高校)在学中に図画の授業の課題作として描かれた作品と思われます。現存する青木作品の中で、上京以前の数少ない作品の中でも最も古く貴重な作品。
画面左下に「第二年甲組 青木繁」のサイン、その下に当時の図画教員、武田弥一郎(たけだやいちろう)先生の「90」点の採点と印鑑が捺(お)されています。
青木は晩年、姉妹宛の書簡の中で、自分が死んだらその遺灰(いはい)を「高良山(こうらさん)の奥のケシケシ山(やま)の松樹(しょうじゅ)の根に埋(う)めて」欲しいと書いています。その高良山とそこにある筑後一(ちくごいち)の神社、高良大社は、生涯を通じての青木の心の故郷だったのでしょうか。